ミスiD2020 ファイナリスト
ヤスナガモモセ
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和服と洋服、小説、芝居が好きです。朗読配信します。 ツイッターフォローしてくれたらうれしいです @momose17198417
おためし朗読(0)
ずっとCHEARSさぼってたのに100チア超えて嬉しいです、ありがとうございます!CHEARSというかツイッターもさぼってたので、まさに存在さぼってたみたい。 みんな女の子たち頑張っててキラキラで、私はすごく病みなムードで、差がひらけば開くほど向こう側が遠くなって、どんどん手遅れになって、よけいに気力も出なくてキラキラした世界をみるのもやめてひとりで落ち込んでたけど、まあでも私もやりたいことあるし、楽しくやってみようかな、と前向きムードになりました笑。配信とかやりたいけど、こわい…(0)
CHEARS復帰しますー推してくれる人を楽しませるコンテンツになるようがんばるから、推されたいです。アイドルなんかやりたくない、と謎のプレッシャーに押しつぶされてましたが、別にミスid になってもアイドルになることではない。コンテンツという偶像的存在になるの気持ち悪くて病んで推されたいなんて言わなくても当たり前のことすらできない、スタートラインにすら立てなくてぐちゃぐちゃでやぶれかぶれになってましたが、そんな真面目になりすぎなくてもね、私なんてつぎつぎ変わっていくんだから、それならただ面白いもの(0)
《お知らせ》 安永青緑になりました。 ブルーじゃないです。クリーンでもない。(0)
14『あゝ、荒野[前半]』ボクシング全然興味なかったけれど、この作品を読み終わった後、なんとなく親しみを覚えた。はじめてボクシングが何か自分と関係があるものに思えた気がする。 最近ときどき「飛び降り」について考えることがあるんだけど、もちろん死に方はたくさんあって、自殺に限って言うと、自分で〈死のうと思って〉〈死ぬ〉っていうことで、つまり形のない思ったことが、形のある身体に作用を及ぼすわけで、これは普段の生活で〈コーヒーを飲もうと思って〉〈飲む〉っていうのとなんら違いはないんだけど、これを「飛(0)
ゆるく(0)
15『阿呆船[後編]』狂気と正気で世界をシャッフルしたときの摩擦が世界の回転、片っぽにしちゃって行き詰まったときは、もういちどネジを巻く必要がある。 ・狂人についての3つの選択肢。 1自分の日常を狂気化すること 2自分は陸にいて舟の上の狂人を見ること 3自分が狂人になること ・選択肢について 1日常の中から小さな狂気を探し出す。そこから手繰り寄せてひっくり返してみれば、日常は狂気になる。 2みんな3はやりたがらないし、結局1をやると3もやることになることは避けられないから2を選びが(0)
16『阿呆船[前編]』僕たちは阿呆船に乗って。ミスidって、言って仕舞えば阿呆船。あらゆる種類の阿呆を詰め込んだ見世物舟。ちょっと勘が鋭い人なら、乗らないのかも。でも安パイ選んでないで、信じて乗ってみないと、安全なだけじゃ何も作ることなんかできないし。陸で地に足つけて暮らすのも、船に乗って町々を渡り歩いてみるのも、どっちが正しいとかはないから、自分がやりたい方を信じてみるしかないでしょ。 狂気に親しみのあった時代と、狂気を排除する時代のはざまを漂った阿呆船は、狂気への完全消毒が盲信された時代に(0)
17『さらば映画よ[後編]ー「代理人」の「間柄」ー』「代理人」って、和辻の「間柄」に似てる気がする。自分っていう独立して存在する何かというのは幻想で、自分がいて世界に生きてるんじゃなくて、世界のなかで自分になる。つまり、「代理人」という関係性における他者とのつながりが「自分」のような気がする。世界[内]存在。 つまり、クリーニング屋さんは誰かのシャツにアイロンをかけることで、料理人は誰かの朝食のオムレツを作ることで、クリーニング屋さんとして、料理人として、自分自身を獲得する。獲得する主体はない(0)
18『さらば、映画よ[前編]ースクリーンとSNSー』先週から数冊の校了入り乱れ全然自由なかった。やっと人間に戻った。SNSって更新しないと存在しないのと一緒だから、ほんとに死んでんだか今ちょっと立て込んでるんだかわかんないですよね。極論、発言しないならいないのと同じっていうのは。 厳しいなあと思いつつ、でもいつもそれくらいの気持ちでいたいなあとも思う。可愛い女の子とかによくありがちな感じの、そこにいるだけで価値があるよーみたいな、つまり、肉に甘えるんじゃなくて、常に表現し続けて存在するという(0)
食べ物と食材しばりシリトリをしたら、意外に難しくてパスとかヒントもらいまくってしまった。あと、食べ物と食材しばりなのに動物と魚と植物の名前ばっかり続いてわーーーってなった。(0)
19『レミングー世界の涯まで連れてって』カベヌケについて語られることの多い本作だけど、私は王が翻弄される姿が胸に刺さる。すでに巻き込まれてる、というところに心が動かされる。この[すでに]の力がすごくて、世界は安全な場所から例えば5月のプールサイドで足先を浸して温度を確かめてから飛び込むみたいにはできない。生まれたここでもう[すでに]なところにしかいない。だから追いつかれない速さで走り続けなきゃならない。この動き続ける力には、日常の重いものを持ち上がるとか、走るとかの理科の実験で習う力とは違う力で(0)
20『奴婢訓』主人の不在が意味するところは、時代によって全く変わって、ジョナサン・スウィフトが書いた1731年、寺山修司が書いたのは1978年。とっくに神様が死んじゃってるのは寺山と一緒だけど、寺山が切り取とった”現在”は、現在の現在とはもちろん違って2020年。粉々に砕けた大きな物語は残骸すら残ってない。既に完成された平成というお屋敷に生まれ育った私には、大きな物語への信頼なんてちっともないどころか、それがあった世界なんて魔女に恐怖して、王子様に憧れるおとぎ話。 物語は書かれたらすでにそれひ(0)
21『疫病流行期』昨日とはうってかわってダークファンタジーな作品。それなのに『9月が来るたび』には非日常を、『疫病流行期』には日常を感じる。結局、非日常と日常は正反対のことのようで、ペラ紙の裏表みたいに一つのものだからなんだと思う。 なにより終盤の「時刻表」のところ、こういうメタ的な構造はもう物珍しくもなんともないけど、最初に探偵が語り出す密室の定義、垂涎ものです。 「Aという密室でBという事件が起こったのをCが目撃した」場合に、これは密室事件なのかどうかという話なのですが、もちろんこんな定(0)
22『9月が来るたび』じつは派手な作品より、こういう群像劇のほうがきわどい気がする。この作品を読むたびに鳥肌が立つのはどうしてなんだろうと考えるんだけど、まだ答えは見つかってない。『9月が来るたび』は、こういう作品を作りたいなとひっそり憧れている。他の作品のように華やかなで風変わりな人物も、舞台設定もなくて、ごく当たり前に営まれる世界の、ひっそりとした団地の静かな日常。それなのに、他の作品の飛び道具的世界や言葉遊びよりも、鋭い牙を持った動物が潜んでいる。どうしてこのぱっとしない作品にこんなにも惹(0)
23『書を捨てよ、町へ出よう』読書って安全なこの部屋からめくるめく世界へ連れてってくれるレジャーじゃなくて、いまここという瀬戸際に立って一か八か自分を賭ける勝負だと思う。 本を読むことに意味はなくて、読んだ本について講釈を垂れるのも無意味。だから今日はこれ以上書かない。ただ気にかかるのは、光の速さで言葉の意味を超えて、それよりももっともっと早く物理法則も超えて文字のインクを自分の血管に置き換えたら、どんな物語が浮かび上がるのか。(0)
24『ポケットに名言を-改訂版のためのあとがき』名言ってその時によって、ひらめいたり、全然ささらなかったり、あとちょっとでひらめきそうなのに掴めなかったり、近く遠く羽音は確かにするのに姿の見えない透明の蚊みたい。 私にとって名言って、文字から世界にポップアップしてくるもの。よくバースデーカードとかのメッセージカードで、開くと飛び出るやつ、それからメロディがなるやつってあるじゃないですか、あれってすごいと思う。そもそも言葉を描いた紙っていう2次元を、二つ折りにすることだけでも大発見だと思う。だって(0)
25『家出のすすめ』私が小さい頃を思い出すときに、まず最初に出てくる言葉は「ジェニファー」。母親はことあるごと私にジェニファーと言った。ジェニファーして。ほら、ジェニファーよ。どうしてジェニファーできないの? ジェニファーは同い年の女の子の名前で、保育園の頃私が通っていたバレエ教室のクラスメイトだった。その教室では一年に一度発表会があって、同じくらいの実力の人たちで幾つかのグループに分かれて踊った。先生はフランス語で喋るのでなんて言ってるのかわからなくて、聞きなれないその発音をいつも怒鳴られて(0)
26『コメット・イケヤ』「作品を作るにあたっては、ステレオの空間を現実と非現実(内容的にはフィクションの世界とドキュメント、技術的にはモノラルとステレオ)が立体交差しながら心の迷路をさぐりあててゆく手法を考えました。」 前からこの序文が気に入っているのですが、今回読み返してみて、彗星の発見者が「池谷」さんなのだと初めて気づきました。今までずっとなぜか「渋谷」さんだと思っていました。そうか!だから「コメット・イケヤ」なのだと膝を打ちました。こういうことってままあります。なんだか、そういう細かいこ(0)
27『寺山修司偏愛読書雑記『青ひげ公の城』(後編)言葉の意味は一定じゃなくて、その流れによってまるで別の単語のように変わってしまう、そもそももともといくつもの意味を持つ言葉もあるし。だから、言葉を使うにはその言葉を使うことの説明が必要で、でもその言葉を使うことの説明をするのも言葉ならば、その言葉の説明も必要で、結局ほんとうの意味を伝えるっていうのはかなり厳しいところにあることなんだと思う。そこで、芝居とか小説だとか映画だとか音楽とか…つまりまあ全て芸術とかいうのは、そういう言葉の意味なんて正確に(0)
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