ミスiD2020 ファイナリスト
ヤスナガモモセ
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和服と洋服、小説、芝居が好きです。朗読配信します。 ツイッターフォローしてくれたらうれしいです @momose17198417
〈ささくれと幽霊〉ところでさっき、幽霊なんていないと言う人と話してた。自分の目に見えるものしか信じられないみたいだった。常識で考えて、と何度も言われた。いたらいいと思うし、そういう話は好きだけどね、と。私は、昨日から指先に居座っている向こうの景色を通して見ることができるくらい大きなささくれを気にしながら話してた。ささくれって透明で他の人の目にはあんまり映らないけど、ことあるごとに私はすごく痛い。ついうっかりその存在を忘れてバッグの中を探る瞬間とか、シャンプーしようとして濡れた髪に指先を差し入れた(0)
〈花粉症の歩き方〉ひどい花粉症なので、毎晩薬を飲んでいるのですが、果たして効いてるのかいないのか、とっても怪しいのです。耳元で振れば渇いた鈴の音の鳴る透明の薄いプラスチックと銀紙の間に封入された流線型の白い粒は、宝石だとしたらネックレスにしようにも頼りないほどささやかで、仕立てられるとしたらせいぜい小指の指輪くらい。指先で押し出すと儚い悲鳴を立ててプラスチックはひしゃげ、丸い錠剤を刃物代わりにあまりにも簡単に銀紙は破れ、それは掌に転がり出てきます。私は毎晩ふた粒飲んで眠るのだけど、こんなことでち(0)
百人一首を読んでいると、あまりにも純な恋心を臆することなく表に出す実直さにどきりとしてしまいます。まして、当時の男性や年嵩のいった、それも高貴な生まれだったり要職についていたりする人が、憚りなく胸裡に疼く慕情をあらわにするというのは。 けれど思うのですが、ここに詠み込まれた恋とは、私の考える恋とはまったく違うものなのではないかしら、それはもっと生きるというそのことに似た。なんだかそう思うと、私の知っている〈恋〉で百人一首を読んでしまうと、歌の豊潤を取りこぼしてしまいそうで、迂闊に読むことができな(0)
昨日から三島由紀夫の『天人五衰』を読んでます。この作品のすべては最初の海の描写にあるように思えます。万華鏡のように絶えず姿を変えてゆらぐ波の姿から溢れず、且つ水面より低くなることなく物語の核心が息を潜めているように思えます。あの海の風景描写こそに、この作品をナイフにしてえぐり出そうとした、世界の芳醇な種子がとらえられている気がして、一文読んでは噛み砕きと、時間をかけてじっくり読んでしまいます。そして日にちをあけて読み返すと、また違った景色があの波のように脳裏に次々と浮かび上がってくるので、本当に(0)
彼女には世界を革命する力がないと知った時、彼女はあらゆる言葉を奪われ、ものをつくる力を失ってしまいました。それはつまり、彼女を彼女自身として世界の中に押しとどめておく力を失うことでもあったので、彼女はなす術もなく溶けていきました。身体が朽ち、心が蒸発し、最後にダイヤよりもかたくなだった認識すら跡形もなく霧散したその刹那、彼女は瞳を与えられました。世界を革命する力を失った代わりに、世界を見つめる瞳を手に入れたのです。 盲目だからこそ見える世界にはめくるめく革命があり、それが彼女の全てで、つまり世界(0)
演じることって、とても不思議なことだと思います。例えばご飯を食べるとか、電車に乗るとか、そういう出来事と並列して芝居することをすることは出来ないような気がします。食事も乗車も「(私が)すること」だけど、役を演じるということは「(私が)演じること」でありつつ同時に「(役が)何かをすること」でもあり、それがぴったり重なったところで(生きる)ということになります。つまり、私が私でなくなって、かつ私であるという二律背反に混乱するのですが、それでも物語の奔流に身を任せてしまえば、そんな机上話はどこかへ飲み(0)
すごく喋るのが苦手、というか、喋るのは嫌いじゃないのですが、なかなか喋ってることが相手に伝わらないです。 みんな頭の中にキッチンがあって、そこに思想やら事実やらのとりどりの内容を並べて切って茹でて焼いて料理してそれを相手に差し出して食べてもらう、これが会話という出来事だと思うのです。でも、私のキッチンはぐちゃぐちゃに散らかってて、まな板は葉書サイズしかなくて、思うように料理ができないのです。だから、喋る、という手際よく調理をしないとならない場では、綺麗なみじん切りができなくて食材は歪になり、焦る(0)
ラジオしてみます。(0)
世界を革命する力を、と、某キャラクターは言いました。私は文字を使って言葉を介して、ものを作ることによって私として生きているのですが、それは結局、世界を革命、したいのです。しかし世界というものは、それ自体で力のみなぎった、というより力そのもののようなもので、世界の前で私は無力、というよりその力にすでに飲み込まれてしまっているので、せめて私の力で革命はできなくても、しっかりとその革命を見たいなと思うし、その見たものを私の言葉で作品として形にしたいのです。そうして生まれた作品で、誰かの世界を革命したい(0)
ヤスナガモモセと申します。 着物を着たり、 芝居に出ては脚本を書いて舞台作ったり、 本や映画を見ては小説を書いたり、 しております。 24時間着物で暮らすこと、脚本演出を手がけた舞台で誰かの現実を攪拌すること、楽しく小説を書き続けることが、夢です。(0)
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