IBUKI
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CMをつくったり、
絵なんて嫌いだ。 「上手く描く」ということ。 求められるのはそれだけ。 独自性も精密さもいらない。 少ない線で、速く、分かりやすく描くこと。 言われた通り。 予算を超えないような描写で。 中学、大学と美術部だった。 「リアルに描くだけなら写真でいい。写真にできないことをしろ」と顧問に言われた。 私は水彩絵の具をたっぷりとつかって、猫や、弟妹を描いた。 ケント紙に絵の具を重ねていく。 集中して、なにも考えなくなる瞬間が好きだった。 大学生になれば、上手く描く必要は全くなくて、女の子の絵を(1)
忘れ物をした。 会社のカードキーとスマホの充電器。 会社に着いた時、社用スマホの充電は切れた。 同僚に充電器を借りた時、 「忘れてばっかりだよー」 と言うと、 「生きる目的も忘れた?」 と言われた。 「生きる目的も忘れたかも」 と返した。 生きる目的なんてないぜ。 私たち、要はタンパク質の塊。 私はちょっとfatの割合多めだけど。 大量の分子でできているこの世界。 私の存在は、ちょっとした偶然の産物でしかない。 壁のシミが人の顔に見えるように、 分子のいくつかの集まりに意味があるように見え(1)
夜更かしが好きだった。 布団に小説を持ち込んで、あたたかな中、眠気の限界まで読み進めて、そのまんま寝てしまう幸福よ。 いつしか私の夜更かしは勉強になった。 深夜2時までの宿題、そして朝5時のアラーム。 冬は、朝日が昇る前に家を出て、その白い光を浴びながら通学していた。 大学の夏休みはもっとも楽しい夜更かしだった。 布団に入って映画を2本。 まだネトフリもアマプラも普及してない。 DVDをパソコンにいれて。 朝日が登る頃に眠り、昼過ぎに目覚めてもう一本映画を観る。 そして、自転車に乗って(0)
承認欲求と自意識過剰のはざまに居続けるなんて、中学生みたいだ。 中学生のころは承認欲求なんてあまりなかったけど。 ミスiDとして、残っていく中で、ようやく自分からフォローできるようになってきた。 ずるいと思う。 「無名の私がフォローしても、フォロバされないしな」とか 「フォロー数が、フォロワーを上回るのが恥ずかしいな」とか、 「ミスiDの子とつながって、自分だけ落ちたら恥ずかしい」とか思って、フォローできなかった。 相互になっても、相手にフォロー外されたらこっちも外したり、 ちょっとイラ(0)
『ミスiD2022』 短い映画を撮りました。 私は、チアーズで1位になれるほどの人気者ではないけれど、作りたかった。 見てほしいと思いました。 仕事が終わったその足で花屋へ行き、100均に行き、 仕事と仕事の間で撮影し、 仕事と仕事の間で編集しました。 こんな追い詰められるチャンスを無駄にしたくなかったのです。 しんどいけど、頑張れば映画を撮る時間は生み出せることが分かった。 私には出来ると分かった。 それだけでも、私にとっては大きな進歩です。 今の私が言えること、作れること、を詰め(1)
「真夜中乙女戦争」を観た。 大好きな原作。 大好きな監督。 私は大学が山口だった。 その寮は、砂利の駐車場に面していて、その奥には田んぼやら、牛小屋やらがあった。 もちろん山もあった。 夏になるとカエルの声が聞こえた。 牛の声も聞こえた。 繁華街は、徒歩30分の温泉街だけだった。 深夜は閉まる店ばかりだった。 私は、4畳ワンルームの寮のベッドで、小説を読んだ。 ベッドは備え付けの折り畳み式で、布団を乗せて使っていた。 毛玉まみれの、黄緑の敷パットをつけていた。 BGMにDADARAYの(1)
同期の送別会だった。 もうこれで4回目(4人目)の送別会で、もう慣れっこ。 いつも通りたこ焼きとケンタとお菓子を食べたのだけど、 パーティーのときってどうしてこうも食べすぎるのか。 ほんとに自分いい加減にして欲しい。 そして、なによりいい加減にして欲しいのは、 酒を飲んでなくても気が大きくなるというか、余計なことを言ってしまうこと。 みんなでテレビを見ていて、「あのCMはひどい」だの「イライラする」だのと言ってしまった。 みんなCMを見ると否応なく仕事と関連付けられ、愚痴が出てくるのだけ(1)
最終面接でした。 まず、会場の入口が分からずウロウロしてたら、なんだかかわいい女の子に声を掛けられ一緒に迷う。 (ゆずちのさんでした。かわいい) なんとかたどりつく。 守衛さんも優しい。 入ったら、スタッフさんが、懇切丁寧に説明してくださる。 隣にいる可愛い子はミスiDの子かと思いきや、スタッフ。びっくりする。 どんな経緯でここにいるのか、気になってしょうがない。 優しすぎて戸惑う。 だってこちらは客ではなく、審査される側なのに。 待ち時間もコミュ力の塊みたいなスタッフさんが話しかけて(1)
ゆとり世代ではない。 それでも、簡単に傷つく。 修正指示が来るとすぐに泣いてしまう。 相手はいじわるしてるわけではなく、 私も妥当性を感じていて、理不尽なんて全く思わない。 それでも、傷ついてしまう。 「これだからゆとりは」 なんて思われるだろうか。 でも、私はゆとり世代ではない。 「怒られたことのない甘やかされた弱い人間」ではない。 普通に怒られていた。 ではなぜ、傷つくのか。 考えたのだけど、思うのは、「禁止」の命令は親から受けていても、「自発」を促す叱られ方は少なかった気がする。 (0)
機嫌のいい時と悪い時の差が激しい。 機嫌の悪さを隠せないのだ。 それをチャーミングに出せる人なら、魅力なのかもしれないけど、 私はそうじゃない。 機嫌の悪さで人を傷つけるのも嫌だし、 なにより、それによって他人に嫌われたり、嫌に思われていると思ってしまうのが嫌だ。 だから、私は下に合わせる。 機嫌の悪い、暗い、暗澹、陰鬱、そちらのテンションに普段から寄せている。 元気な時でも、元気に見せないようにしてしまう。 ギャップを減らすことで、 そこに生じる(他人から見た)不可解さや、(自分の中の)恥(0)
最近、夜になると元気になる。 元気、とは違うけど。 眠いし。よく寝落ちする。 スマホの充電コードが短くて、ベッドからずり落ちながらスマホを触る。 夜は穏やかになる。 あまり泣かない。 昼間、仕事中はよく泣いている。 今日は、自分と後輩を比べてグズグズしていた。 後輩は女子3人だけなのだけど、 みんな美大出身。 綺麗な顔をしている。 うち1人は特に最近注目されていて、企画部ではないのに、デザインやらなにやらでよく呼ばれている。 しかもナレーションが上手で、私はその子にナレーターの社内オーデ(0)
改めて、映画を見て下さった方、ありがとうございます。 映画と呼べるのか、と思うかもしれませんが、映画で大丈夫です。 短編ではなく、掌編映画と思っていただければ。 初めてこんなに再生してもらって、いいねもいただけて、「うれしいなぁ」とひしひし感じています。 前につくった映画も上映会で、せいぜい50人くらいに見てもらっただけ。 YouTubeはGoodはつかないのに、badはつく。 会社の美大(映像)出身は男性ばかりで、私のつくる映像を見ても、誰もいいとは言ってくれない。 「意味がわからない」(0)
書類審査で4回落ちている。 と思う。 もはや覚えていない。 最初のエントリーシートの内容は覚えている。 落ちた時、とても、とても悔しかった。 腹が立った。 私の中では全部さらけ出したつもりだった。 ただ、さらけ出したものの意味はなにもなかった。 詭弁、という言葉が浮かぶ。 なにも動けていなかった。 私のツイートは審査期間中なにひとつRTもされず、フォロワーも増えずだった。 それはまあ、そうで、なにかしていた訳でも、何者かになる予兆すらなく、ただ空虚だった。 それ以降は、もはやエントリー(0)
女の子の、血色のない荒れた唇はチャームポイントだと思うのよ(0)
突然だけど、私は脱毛症らしい。 髪の毛だけじゃなくて、眉毛、まつ毛もない。 鼻毛とかすね毛とかもない。 受験生のときに発症して、頭に注射をぶっ刺すという治療のおかげで、一旦は治るのだけど、 大学一年生で再発した。 パワハラ店長のイタリア料理屋でバイトしてた頃だった。 そしてウィッグで生活するようになるのだけど、最初は黒やブラウンばかりだった。 とにかくバレないように、とだけ考えていた。 けれど、そんな自分に飽きてしまって、大学4年の就活の時期に、ピンクのウィッグを買った。 ピンクの髪は思(0)
私がミスiDに出るのは、きっと「認められたい」「褒められたい」だ。 大学四年生、ある国際映画祭で、U25部門でノミネートされた。 みんな美大在学か出身で、映像クオリティも高く、音も綺麗だった。 私はスマホで、しかもSNOWで撮った映画だった。 今より性能の悪いスマホ、拙い編集技術。ホワイトノイズがずーっと入っていた。 それでも、受賞できなかったときに泣いた。 むせび泣いた。 審査員には柄本明さんがいらっしゃった。 「よくわかんないね」と言われた。 私は弱く、幼かった。 弁明も反論も出て(0)
2年後、独立することを目指している。 CMプランナーだけでなく、MVや映画の企画・監督を生業にするつもりだ。 表面じゃない、心の色が見える映像を撮れる監督だ。 そのために必要なのはなんだろう。 スキルはあるに越したことはないが、なりよりも必要なのは、「伝える力」だ。 ミスiDでも必要とされていたのはそこだと思う。 相手に届く言葉で、絵で、音で、伝えなければいけない。 自分のつくりたいものをつくるなら、 相手の言語を学ばなくてはいけない。 卒論を書く時、先生に言われた。 「小学生でも理解(0)
『 #ミスiD2022復活戦』 音露のvlog映画(0)
色んな人に守られている。 私が、若く、オタオタしていて、未熟だからだと思う。 手を差し伸べてくれる人がいる。 CMの企画でも、きっと私が不安そうな顔をしていたからだろう。 どうやって修正したらいいかを事細かに話して、本来私がやるべきコンテ作りも、まとめも、プランナーや代理店がやってくれた。 まるで幼稚園だった。 「できる?」としきりに聞かれた。 もちろん、なんどもやってきたし、できないと困る。 1年目だと思われているかもしれない。 本来、私と、他のプランナーはライバルだ。 もちろん、同(0)
私のいる会社に入りたいと言っていた友達が面接を蹴った。 数ヶ月前に、友達から中途入社したいと言われ、準備を進めていた。 彼女が資格を取り終わるのを待ち、作品を見せてもらい、上司に相談し、ようやく漕ぎ着けた面接だった。 あとは履歴書を正式に受け取れば、面接だった。 この仕事の大変さと、覚悟の必要性を何度も何度も訴えた。 生半可な気持ちでできる仕事じゃない。 なによりも必要とされるのは覚悟だ、と。 それは、私が覚悟して上京しこの職に就いたから、の言葉だった。 彼女は悩み、そしてYESと答えた(0)
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